松本人志と文春問題で思い起こすことがあります。

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松本人志と文春との騒動が、しきりにTVなどで取り上げられていて、ちょっとした社会問題になっているようで、何やら賑わしいことです…。 

この騒動で様々な方がさまざまな意見・感想をお持ちだと思うのですが、わたしもこの騒動には多少の関心を寄せています。

といっても、わたしは松本人志さんが出演しているTVって、ほとんど見たことがないんです…。

なぜかというと、お笑い番組とか、バラエティー番組というものをあまり見ることがないからです。

それと、文春どころか、週刊誌なんて数10年も見たことがありません…。

それなのになぜ…!??

それは、過去に自分の身に起きたことを思い起こさせたからです…。

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節分と接吻…!??

わたしがまだ小学生の頃の出来事で、松本人志さんの事件と同列に並べるには規模が違いすぎて、問題になるものではありませんが、わたしにとっては、その当時のその出来事を未だに忘れることができません…。

わたしが小学校6年生の頃(昭和32年頃)というのは、今と違って教室の机は二人がけで、男子と女子が並んで座るようになっていました。

わたしの隣には、クラスには必ず一人や二人くらい、成績も良くて容姿も良い…というような女の子がいたりしますが、隣りにいる子がそのような子でした。

それが確か、国語の時間だったと思うのですが、隣のその子と一緒に一冊の辞書で「節分」の意味を調べていると、突然後ろの席の男子が「この二人、接吻なんか引いてるっ!!」って大声で叫んだんです…!

当然クラス中の目が、一斉にわたしたちに集中します!

この時、私達にできることはなにもないんですよね…!

言ったもの勝ちです!

この言葉には、大人でいうところの二人の間柄を揶揄する意味が含まれていることは、子供でも察することができます。

だからみんな興味本位で振り返って見るんですよね…

いわばさらしもの状態になってしまったのです。

打ち消そうにも、打ち消す発言をすれば、言い訳のように受け取られるだろうし、言葉を発するだけでも、ますます注目されてしまう…という、どうにも対処不能の状態に陥りました。

このときの感情をどう説明したら良いのか…、怒ることも、打ち消すこともできないストレスは、子供ながら耐え難い時間でした。

これは隣の女の子も同じだったろうと思います。

打ち消すことも、怒ることもできない…というか、怒っても、打ち消しても意味がないというか、なんとも言い返すことのできない、やりきれない思いだけが残りました…

例えば、これが私一人で自分の辞書を引いていたなら、同じことを言われても、「なに言ってんだよ!そんなとこ見てね~よ、こっちだよ!」って言い返す事ができて、それで終わったのでしょうが、たまたまよりによってクラスの中でも目立つ女の子と一つの辞書を見ていたことが問題なんですよね…

だからって、それが悪いなんて言えませんよね…

ということを松本さんの騒ぎを見ていると、思い起こしてしまうんです…

悪魔の証明…!??

実はわたしは、現在の塗装の仕事に携わってからも、誤解されたまま現在に至っていることもあるんです…。

それは、2、30年ほど前の出来事ですが、ある大手ゼネコンに勤めておられる方の家の塗り替えを依頼されたときのことです。

この方は仕事上、外国の方を自宅に招くことが多いので、古い日本家屋の雰囲気を残したいということで、外壁以外の玄関前の格子の引き戸などは、塗らずに洗って仕上げてほしいとのことでした。
そこで、わたしたちは外壁の塗装と同時進行で、木製の引き戸を一生懸命洗いました。

その結果、自分で想定していたよりもずっと木目もしっかり出て、きれいに仕上がったので、意気揚々お客様に見てもらいました。

すると、意外な言葉が帰ってきました。

「洗ってこんなにきれいになるわけない!なにか塗ったろう!」というのです。

わたしたちは、薬品も使わずに水だけで灰汁(あく)洗いをしたことをいくら説明しても、この方は納得してくれません。

弱りました!対等の立場で説得というわけにはいきません。なにせこれからこの人から工事費用をいただかなければならないのですから…

とにかく、洗っただけなので信じてください!という以外になく、お客様が納得しないまま集金させていただきましたが、たったこれだけのことで後味の悪い仕事になってしまい、おそらくこの方は今も洗ったのではなく、何かを塗ったと思っているのだろうな…と思うと、なんだかため息が出るときがあります…。

こんな経験があって、もと総理の安倍首相が「もり・かけ問題」の時か、「さくらを見る会」の時だったか忘れましたが、野党の質問に対し、このような証明のできない事象「悪魔の証明」といっていたのを記憶しています。

例えば、万引き犯に間違えられたとしても、万引きしたという品物を持っていなければ、万引きしていないことを証明することができますが、痴漢の犯人と間違えられたらどうでしょう…!

男として、こんな恐ろしいことはありません!

まさに悪魔の証明を強いられるからです…!

目撃者でもいない限り、自分で無実を証明することは不可能です。

わたしは幸い満員電車にゆられての通勤の経験があまりありませんが、それでも満員の電車に何度か乗ったことがあります。

その度に、いままで書いてきたことが頭に浮かびます…。

これは、私だけでなく男性ならほとんどの人が頭をかすめるのではないか…と思っています。

こうしたことを踏まえて、改めて松本さんの問題を考えると、「悪魔の証明」をどのようにしようとするのか…?に、大変な興味があります。

結論…!???

わたしはこの問題の詳細を知りません。

だから、どちらの言い分が正しいとか、正しくないとか言える立場にありません。

それと同じように、沢山の人がこの件に関して意見を寄せていてますが、それらの意見にもわたしが感想を述べる立場にもないな…、と自覚しているつもりです。

ただ、こうした中でもただ一つだけ、気になる言葉がありまりました。

それは、たけしが言った『有名になって、自分が社会的な影響があることを知ってるくせに、素人の女の集まっている所にノコノコ出かけて行くのが悪いんだよ…』というような意味のことを言っていた言葉です。

言葉は悪いですが、わたしはこの言葉が全てではないのかな…、と感じています。

わたしの小学校時代のあの話も、隣り合わせた女の子の話だから、ここに書くことができたのです。

もしこれが、わたしがわざわざその女の子のところに出かけていって、同じ状態になったとしたらどうでしょう…?

話は全く変わってしまいますよね…

なんでわざわざ、あの女の子のところに行ったの…?
が問われることになって、最初の「節分」と「接吻」の話よりも、こちらの方が大きく取り上げられてしまうのではないでしょうか…

今の松本問題というのは、このような状態ではないのかな…と想像していて、さっき示したたけしの言葉が、現在の段階で出しうる結論の全てはないのかな~と感じています。

それにしても、意図しないときに、意図しないところで ”火のないところに煙のたつ” 恐ろしさを感じています。

誰にも見間違いや勘違はあることですから、ある意味こればかりは注意のしようがないんですよね…

それでも、最悪あの人がそんな事するわけないよ!と、他の人に言ってもらえる自分にならないといけないのかな…なんてつくづく考えさせられています。

大した結論も得られませんでしたが、これがわたしの感じている松本騒動です。

それにしても名誉毀損の賠償金て安すぎると思いませんか…?

日本は人間の命も安いんですよね…

いつかこの事も合わせて書いてみたいな…と思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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