65年前のキャンプの想い出

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わたしはどちらかというとインドアよりもアウトドアの方が好きなタイプ。
ですから娘が中学校を卒業するまでは、毎年のように奥多摩や河口湖、房総半島などに犬2匹と人間3人の5人家族でキャンプに出かけていましたが、これから紹介するキャンプの思い出はその頃のキャンプの話ではなく、わたしがまだ中学生だった頃のおおよそ65年ほど前のキャンプ場での話です。

そんな古い話をなんで今頃…?

というのは、実はこれよりさらに古い70数年前の、わたしとイトコが写っているアルバムの写真を見つけているうちに、副産物として見つかったのがこの中学生時代に行ったキャンプの写真なのです。

その写真を見ているうちに、ああそうだ、あんな事があったな…、なんていうことがいろいろ思い出され…、そのことをアップしてみようかな~と、思い立ったというわけです…。

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生まれて初めてのキャンプに誘われて…

確か中学3年生の夏休みだったと思うのですが、同じクラスのA君と、クラスは違ってましたがA君の友人であるU君の二人に急にキャンプに誘われたのですが、わたしの家庭はキャンプが話題になるような環境ではなかったので、キャンプというものがどういうものなのか…具体的なイメージがわかないので、あまり乗り気ではなかったのですが、彼らがあまりにも熱心に勧めるものですから、そのうちにいつしか行ってみようかな…という気になっていました。

ところで、そのキャンプに誘ってくれた二人ですが、二人に共通しているのが、ともにお兄さんがいるということです。

そのためでしょうか、わたしより様々な点で情報通だと感じていました。特にU君はお兄さんがボーイスカウトに入っていて、U君自身もカブスカウトに入っていましたので、キャンプなどに対する情報も豊富で、キャンプ用品も揃っていました。

そのために今回のキャンプという話が持ち上がったのだろう…と想像できました。

さて一方のA君ですが、彼とは同じクラス仲間なので彼を苗字で呼ぶことは少なく、ほとんどあだ名で呼んでいました。

その、彼のあだ名は「ブラック・オタマ」!

なぜブラックオタマかというと、彼が小学生の時に遅刻をしたことがあって、そのときに先生がなぜ遅刻したのかを問うと、彼は大きな声で元気よく「オタマジャクシをとっていました~っ!」って答えたので、教室中大笑いしたことがありました。それ以来、彼が色黒であったこともあって、ついたアダ名がブラックオタマ!

同学年でそのアダ名を知らない人がいないくらい有名なアダ名の持ち主なのです。

それはともかく、どこでキャンプをするのか、自分は何を持っていけばよいのか…などをU君に聞いてみると、 場所は愛甲郡にある宮ケ瀬キャンプ場という所で、横浜から相鉄線、バスなどを乗り継いで行けるらしい…ということと、持っていくものは、缶詰、お米、水着と往復の電車賃ぐらいで大丈夫ということでした。

その他のキャンプに必要なテントやキャンプ用品、キャンプの知識も全てU君がわかっているので心配ない…!ということでした。

そこで、早速母親にそのことを告げると、子供3人だけでキャンプなんてとんでもない!

という当たり前の返事が返ってきたのですが、二人にはすでに行くという返事をしてしまっていたので、なんとか拝み込んで母親を無理やり納得させてOKをもらうことに成功しました。

宮ヶ瀬キャンプ場に着いて…

キャンプ当日、電車、バスを乗り継いで目指す宮ケ瀬キャンプ場に到着。

そのキャンプ場はわたしの記憶だと、バス停のすぐ前の石の橋の脇を降りていったところだったように思っています…。

そこには中津川という川が流れていて、川の両岸はゴロタ石ではなく、海岸のような細かい砂が堆積した砂場状になっていました。

その砂浜の適当な場所を見つけて早速テントの設営準備をしていると、どこからか大人の人がやって来て、そこでキャンプをするなら◯◯円払ってください!というのです。

これは全くの想定外!キャンプをするのにお金が必要なんて誰も思っていなかったのですから…

弱りました!そこで、川の真ん中に島状の中洲があったので、あそこもお金が必要なんですか?と聞くと、あそこならお金はいらないとのことです。

そこでその無料の中州に渡ろうと何度かトライしてみましたが、1、2日前の台風のせいで川が増水していたこともあって、とても渡ることができませんでしたので、仕方なく諦めて、なけなしの小遣いを出し合って先程の管理人?にお金を支払い、そこにテントを張ることにしました。

しかしこの管理人は、今考えると無責任な人ですよね…
もし、子供だけで中洲に渡って川が増水したらどうなるかぐらいはわかっていたはずなのですから…

それに、このキャンプ場には今と違って、水道やシャワーや炊事場…等々何もついてないのです。

といっても、その時は子供ですから、そんな施設の存在そのものも知りませんでしたし、探そうともし
ませんでした、なぜならそんな文化的なものがあったら、ホントのサバイバルにはならない…なんて考えていたからです。
(ほんとは、どこかに水道などが備わっていたのかもしれません…)

そんな事があった後に、U君の指示でテントを張ったり、薪拾いや、大きな石ころを見つけてきて、かまどを作ったりで、たちまち夕飯の支度が整い、生まれて初めてハンゴウで炊いたおこげのあるご飯と、持ち寄った缶詰をおかずに食べた夕食は、今までに経験したことのない感動ものの味でした…

翌日…

さて、どうやってあのテントで寝たのか全く記憶にありませんが、とにかく目が冷めて川で顔を洗ったり歯を磨いたりして、適当に朝食を済ませた後、いよいよ川遊び開始です。

ここでわたしは大きな間違い…、というか貴重な体験をすることになりました。

昨日はほとんど川遊びをしてなかったのと、昨日より川の流れが緩やかな感じがしたので、今日は対岸まで泳いでみようと思いつき、自分なりに川の流れを考慮して少し上流に行き、多少流されても斜めに泳げば目的の対岸にたどり着くだろうという、甘い考えで泳ぎ始めました…

ところが川の流れはわたしの予測を遥かに超えていて、川の中央まで泳ぐのが精一杯で、その先にゆくことも戻ることもできない状態になってしまいました…

このときが「しまった!!」という思いで一番恐怖を感じた瞬間でした…!

川の中央で足はつかないし、どうすればよいのか考えている間にも体は流されるし、これ以上無駄な抵抗をすれば体力が持たないことは容易に想像できたので、これから、どうする!どうする!と必死に自分に問いかけました…!

それでも、流されているうちに少し冷静になれ、流されていった先には必ず堰が設けてあるはず…!と思いつきました。

でも、堰ではなく、滝のようになっていたらどうしよう…、という不安と、堰がある!、という思いが交錯して不安でいっぱいでしたが、堰があることに賭ける以外方法がありませんでしたので、流れに身を任せたままにしていました…

すると、ついにありました!大きなゴロタ石を並べた堰が見え、立つことができたのです。

ホッとしたというか、なんか嬉しくなってきて、自分がなにかに勝ったような気分でした…!

それで二人のところに戻ると、二人は「どこへ行ってたの?」と聞くので「下の方ちょっと見てきたら堰があったよ…」なんて、何事もなかったかのように振る舞いました。(流された…なんてカッコ悪くって言えませんでした…)

向かって左がブラック・オタマ 右がわたし。
この頃は、坊主頭が主流、髪の毛をのばしているのを、坊ちゃん刈りなんて、呼んでいた時代です。
これはいじめじゃありませんからね!
オタマの発案で、わたしが掘って、彼が自ら入っていったんです…。
多分中は冷たかったんだろうな…、わたしは入りませんでした…

女性の悲鳴が…

遊びもそろそろ切り上げて、お昼を食べて帰り支度をしようと準備をしていると、昨日は近くには誰もいなかったのに、今日は上流の方に女性のグループがキャンプをしているようで賑やかでした。

我々とはだいぶ距離があったので、どんなグループなのかわかりませんが、我々よりも多人数で年上の人たちのグループのような感じでした…。

お昼は相変わらず残った缶詰をおかずに、ハンゴウで炊いたご飯を食べて…と思って、火起こしなどしていると、突然上流の先程の女性のグループから大きな悲鳴が聞こえてきました…!

何事…!!!

と思ってそちらを見てみると、なんと一升瓶をぶら下げた酔っぱらいが女の子達に絡んでいる様子…

かなり酔っ払っているようで、立っているのもままならないような感じで、なにか大声でわめきながら
女の人たちに絡んでいるようでした…。

まさかこっちには来ないだろうな…と思っていたのですが、その嫌な予感が当たって、フラフラしながら、その酔っ払いがやってきました…。

我々の前に来ると、「番長は誰だ!」って、一人ひとり指さしながら「お前かっ」「お前かっ」と酒臭い声で怒鳴るので、わたしが「番長なんていませんよ」というと、口答えをしたのでお前が番長か…!と絡んできます。

何が目的で騒いでいるのか分からないでいると、急にあぐらをかいて缶詰を開けろというのです。

逆らうと怖いので、言われるままに缶詰を一つ開けて目の前においてやると、酒のつまみにしながら、なんだかわけの分からない独りごとのようなことを怒鳴って、立ったり座ったりした後に何処かへ行ってしまったので、ほっとしたのですが、昼食の続きをしようとお米の入った袋を見ると、さっきの酔っぱらいが立ったり座ったりしたせいで、なんとお米に砂が混ざっていました…

最後のお米です!

砂の混ざった米を諦めてどこか食堂で昼食…なんていう発想は子どもたちの頭にはありませんし、そんな小遣いも持っていませんでしたので、この米をどうするかを考えるしかありません。

米より砂のほうが重いのだから一緒に炊けば、砂は沈殿するので食べられるだろう…と考え、そのとおり実行して食べることにしました。

確かに砂は沈殿しましたが、完全に分断されたわけではないので、ちょっと欲張ってよそうと砂が混ざってしまいます。

相手が砂なので、その砂を避けて食べることができません。時々ジャリっとすると、もうとてもそのさきに箸を進めることなどできません…!

それでついに諦めて、満腹しないまま帰途につく以外ありませんでした…

残念な結果で終わった初キャンプでしたが、この酔っぱらいのお陰?でこの歳になるまで思い出として記憶に残っているのですから、良い経験をしたキャンプだったのかな…なんて今では思っています…。

ところで、縁は異なものと言いますが、U君とは一度もクラスが一緒になったことがなかったので、このキャンプ後もあまり話す機会のないまま、お互い違う高校に進学したのでほとんど付き合いがなくなってしまったのですが、わたしが20歳になった頃、何故かU君のお兄さんの仕事を手伝うことになりました…。

その仕事はとてもユニークで、想像を超えた面白い経験ができたので、いつかその話もしてみたいと思っています…。

現在の宮ヶ瀬キャンプ場

わたしは数年前にこの想い出の宮ヶ瀬キャンプ場を訪れたことがあります。

訪れる数年前から、宮ヶ瀬周辺が一変している…という情報があちこちから聞こえていたのでので、あのときキャンプした場所がわかるはずもありませんが、おそらくこの辺じゃなかったのか…というかすかな記憶を頼りに宮ヶ瀬に行ってみましたが、ま~ほんとにすっかり変わっていて、びっくり仰天でした…

ダムができ、ダム湖の上には立派な吊り橋があり、周辺にはきれいな公園ができ、すっかり観光地化されていました…。

もちろん現在の宮ヶ瀬キャンプ場には、あの頃とは違って立派な設備の整ったキャンプ場になっているのはいうまでもありません。

宮ヶ瀬ダム 放流も見ることができます。
ダム湖の上にはきれいな吊り橋がかかっています。
清川村のイルミネーション

現在の宮沢湖にはたくさんの魅力が詰まっています。

首都圏からもそう遠くありませんので、一度訪れてはいかがでしょうか…

「宮ヶ瀬ダム」で検索すると場所や魅力がすぐに分かりますよ…!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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