悪ガキ3人組

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わたしは、仕事仲間や、後輩、先輩、同僚等々
だれかれなく話したくなるのが、この3人組の話。

どんな3人組かというと

高校時代、わたしと田辺と山鹿の3人は、横浜と横須賀の境目にある
実業高校に通う同級生の3人のこと。

なぜか3人は一年生のときから気があって、学内外でもいつも一緒。

だから、例えばわたしと田辺と二人で歩いていると
友達は、山鹿は?とたずねますし、山鹿とわたしが歩いていれば
田辺は?と聞かれるような仲でした。

田辺は学校に一番近い金沢文庫から、山鹿は藤沢、
わたしは横浜の南区の下町から通学していましたので、
学校帰りに遊ぶのは、一番学校に近い金沢文庫で降りる
こと多かったのですが、
金沢文庫で降りるには、近いというだけではない目的がありました。

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田辺の特技はパチンコ

金沢文庫には、当時すずらん通りという商店街があり(今でもあると思います)
その中に、ハッピー、国際、栄光という3軒のパチンコ屋さんがありました。

田辺はその近くの八百屋の息子で
日銭の入る環境だったからでしょう…
親の目を盗んでパチンコができたようでした。

当時は立って玉を一つずつ入れて打つ
アナログそのものの機械でしたので、打ち手の上手下手が
勝ち負けを大きく左右していました。

釘を見る目がないと、なかなか勝つことはできません。

ところが、田辺はよほど通ったとみえて、打ち方も
玉を一つずつ入れるのではなく、間断なく流し込んで連打する
まさにプロのようでした。

で、田辺はわれわれに、打ち方、台の見方を教授してくれるのですが
とてもチンプンカンプンで、試しに玉を買って打ってみても、
あっという間に玉がなくなるばかりでした。

ところで、当時学生服や帽子はどうしていたかというと

当時のパチンコ屋さんには、銭湯の番台のようなところがあり
そこに座っている人にお金(確か100円だったと思います)を渡すと
両手いっぱいほどの玉が買える(借りる)システムで、その番台の人に学生服と帽子を
預かって欲しいと頼むと、快く(今じゃ考えられないですよね…)
預かってもらえたのです。

絶対なんてないのに…

そんなこんなで、何度行っても我々二人は勝てないので
田辺におんぶにだっこ。
彼が勝つまで近くの喫茶店で飲み食いして待つことにしていました。

田辺は期待通り…!?勝ち続け、我々二人の飲み食い代を
払ってくれていたのですが、ついに恐れていたことが
おこるべくして起こりました。

当たり前ですよね、一回も負けずに済む…
なんてことはありえないですからね。

田辺がコケたら、誰も一銭も持っていないのですから大変!

この喫茶店を出ることができません。

まさか食い逃げもできないし…
進退きわまった状態で、どうするか…

考えて、なにかいいアイディアが浮かぶわけもなく

ほとほと困った挙げ句、田辺はついに意を決したようで
兄貴に電話するよ…!
と電話をかけに行ってくれました。

彼は常々、兄貴はおっかね~んだよって言っていたので
かなりの決心だったろうと思います。

兄貴はホントに怖かった…!けど

田辺が電話してから、2~30分ほど待ったでしょうか

田辺を少しスマートにした感じの兄貴がやってきました。

喫茶店の金を払ってくれると、われわれ3人を近くのホルモン焼きや
につれてゆき、説教が始まりました。

いや~、田辺が言った通りおっかない兄貴で、3人まとめて
ひっぱたかれるんじゃないか…と思われるほどでした。

なにせ悪いのはわれわれなのですから、反論するものは何もなく
平身低頭して、謝るばかりです。

ひとしきり説教が終わると、「ったく、しょうがね~な…」
といいつつ、兄貴はホルモン焼きを注文してくれて
われわれにごちそうしてくれました。

初めて食べたホルモン焼き、ホントに美味かったのを覚えています。

これにこりて、パチンコなどに手を出さなければいい子なんですけど
その後も何度かパチンコをしていましたが、さすがにお兄さんに迷惑をかける事
だけはありませんでした。

機知に富んでる山鹿

3人の中でいつも洒落たことを言って笑わせているのは山鹿。

例えば、「落合、足長いな…」
というので「かっこいいだろう」
というと、すかさず「16文ぐらいあるの…」

と言ったぐあいでわれわれをいつも煙にまいていましたが

その年の正月、山鹿から年賀状が田辺とわたしのもとに届きました。

その年賀状には

ハッピーもだめ、国際もだめ、いよいよ栄光への脱出だ~!

だって…

その頃、ポール・ニューマンの「栄光への脱出」が
上映されていた頃だったので、大笑いするやら、感心するやらで、
田辺と二人、全くあいつはいつも冴えてるな…

そこへ行くと俺たちは芸がないな~と嘆くと同時に
山鹿の才能?に感心するばかりでした。

パチンコの次は…

パチンコに行く機会もだいぶ減ってきたころ
これで真面目に勉強…生活に戻ってきたわけではなく、
相変わらず遊びの勉強で、パチンコの次は麻雀!

せっかく麻雀をやるなら、きちんと点数を数えられるようにしないと!
というわけで、教科書の裏に麻雀のノウハウ本を隠して、
一生懸命勉強しました。

お陰で点数だけでなく、ルールやマナー等もしっかりと
身につけることができ、ルール違反や、マナー違反をする人がいると
とても気になるようになりました。

麻雀などの賭け事をすると、その人の性格がもろに出ます。

ネチネチと金に汚い人、冗談を言って楽しめる人、マナーの悪い人…等々
さまざまな人がいますが、われわれ3人はしっかりと勉強をした?
おかげで、マナー違反、人に嫌われるような行為はなかったと思います。

そんななか、山鹿は麻雀をやっても、一人ユニークでした。

彼は勝ち負けにあまり頓着することなく、常に機会があれば
役満をねらっているような打ち方。

そこでわたしと田辺がそんなの狙ったって、めったに上がれないんだから、
上がるの優先で打ったほうがいいんじゃないの…なんていうと

「だから大望のないやつと一緒にうつのは嫌なんだよな…」

といった具合で、とても山鹿には太刀打ちできませんでした。

最初に彼女ができたのは俺

さて、われわれ3人は、パチンコ、麻雀、玉突き…
と遊びのバリエーションは増えましたが、女の子をナンパするような
話ははまったくなく、そんなことは口先にものぼりませんでした。

そうは言っても、それなりに好きな娘がいて…
といっても
相手はそんなことは何も知らない、こちらのただの片想いなのですが、
山鹿にもそいう人がいて、その娘の苗字は「小島」
という名だと明かしていました。

それはそれでいいのですが、わたしがたまに
石原裕次郎の「錆びたナイフ」を鼻歌で歌っていると、歌詞の
最後に”小島の秋だ”という部分があって、その部分になると
山鹿が「小島を気安くよびつけにするなよな!」って

「じゃ、小島さんの秋だ」って唄うわけ…?
と言うと
「あったまえじゃ~ん!」だって…

そんな相変わらずのノーテンキな日々をおくっていた頃
わたしは家の近くの喫茶店に暇を見つけては通っていました。

その店には、わたしと同学年の女の子が時々店に出ていたので
その子を目的に通っていたのです。

といっても、高校生のわたしにそれほどの小遣いがあるわけではないので、
そうそう頻繁にというわけにもいきませんでしたが、
何度か通っているうちに、しだいに会話を交わす機会も増えていました。

そんなある日のこと、学校帰りに彼女とばったり
出会うことがありました。

そうしたら、そのとき彼女から意外な提案を受けました。

それは、彼女のクラスメイト3人とわたしのクラスメイト3人で
クリスマスパーティーをやりませんか…
という誘いです。

わたしはびっくりしました!

ただ単に女の子から誘われたからびっくりしたんじゃないんです。

いくら自分が彼女目当てに通っていたとはいえ

彼女の通う女学校は、山手にある有名なお嬢さん学校

とても自分たちのような学校では…

という思いが、いつも頭の半分ぐらいをかすめていたからです。

その生徒からの誘いだったのですから
嬉しい以前に、驚きのほうが先になっってしまいました。

でも、もちろん断る理由はなにもないので、快諾しました。

で、次の日当然ながら二人にこの話をし、一緒に行こうと誘いましたが、
ふたりとも異口同音に「あ、そう、俺たちはお前のダシだろう…」

というばかりで、なかなかウンといいません。

でも、相手も3人なんだから…!と、なんとか説得して
「しょうがね~か」という恩着せがましい返事をもらって
なんとか3人で行くことになりました。

これで安心…!できないのが、この二人

わたしはせっかくのチャンスなので
いい子でいたいのですが
この二人がそんなことをさせてくれるわけないよな…

と思いながらクリスマスの当日

案の定、当日は二人共タバコは吸うし、会館のバックヤードから
勝手に飲食物を失敬するやらで、やりたい放題。

これで俺の印象は丸つぶれ…!

と思っていたのですが、パーティー終了後の会場の後始末を彼女と二人で
行う羽目になったことが、結局は幸いしてこの後二人の付き合いが
始まることになったのですから、ある意味二人のおかげ…ではありました。

この後も3バカトリオの破天荒な行動が続きますが、この後の話は
「悪ガキ3人組(後編)」「悪ガキ3人組が2人になって…」を御覧ください。






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