ヤマトタケルとスサノウと神社と・・・

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古代史(神話)に興味のない方でも、ヤマトタケルやスサノウについての名前ぐらいは
知っている…という方は少なくないのではないでしょうか…

古代史の中でも特に「やまとたけるのみこと」や、「すさのうのみこと」は古代史上の
スーパーヒーローとして扱われている人物(神?)なので、その活躍の物語をご存じの方
もたくさんいらっしゃるのでは…と思っています。

そのため、日本各地にヤマトタケルやスサノウ関連の神社が数多く存在しています。

しかし、ヤマトタケルやスサノウって本当に実在した人物(神)なのでしょうか…?

また、ヤマトタケルやスサノウが活躍したとされる物語は事実なのでしょうか…?

そして、ヤマトタケルやスサノウと神社の関係ってどんなものなのでしょう…?

などを探ってみました…

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日本武尊と倭建

日本武尊も倭建も同じヤマトタケルと読みますが、日本武尊と書かれているのは
日本書紀の方で、古事記では倭建と書かれています。

日本書紀と古事記では名前の漢字が違うだけでなく、ヤマトタケルが活躍する肝心の
動機や、ヤマトタケルの父親(天皇)のヤマトタケルへの想いが全く異なっています。

それがなぜなのか?を探ってみようと思います。

古事記の中の倭建(ヤマトタケル)

ヤマトタケルは、第12代景行天皇の双子の兄弟として産まれたそうです。

兄は大碓の尊(おおうすのみこと)と言い、弟のヤマトタケルは小碓の尊(おうすの
みこと)とよばれていたそうです。

この景行天皇には、正妻の他多数の側室がいて、80人ほどの子供がいたそうですが、
更に近くに美女がいることを聞きつけ、ヤマトタケルの兄の大碓の尊(おおうすの
みこと)にその美女を連れてくるように命じたのですが、兄の大碓の尊は自分の妻に
してしまいました。

で、当然景行天皇と大碓の尊の関係は気まずいものとなり、大碓の尊は恒例の食事会
などに出席しなくなってしまいました。

そこで景行天皇は大碓の尊の弟、小碓の尊(ヤマトタケル)に兄を諭して、宮中に
来るように説得してくるよう命じます。

しかしいくら待っても、兄の大碓の尊が現れませんので、天皇は小碓の尊にきちんと兄を
説得したのかを尋ねます。

すると、小碓の尊は「手足をもいで殺して捨ててきました…!」というのです。

これを聞いた景行天皇は、恐ろしくなります。この子を自分のそばにおいておいたら
自分も殺されかねないと考えた天皇は、当時16歳の小碓の尊にわずかの手勢も与えず
遠く九州の熊襲征伐を命じます…

というのが古事記に描かれた、熊襲征伐の動機です。

一方の日本書紀ではどうなっているかというと…

日本書紀の日本武尊(ヤマトタケル)

日本書紀はご存知のように古事記の後年に編纂された天皇記と言えるものですが、
日本書紀では古事記に記載されている導入部はなく、兄の大碓の尊も殺害されて
いません。

景行天皇は、大和朝廷に従おうとしない熊襲兄弟の討伐を小碓の尊(おうすのみこと)
に命じたとあるだけで、古事記と違って手勢も与えられ、弓の名人も同行させているこ
とになっています。

物語の展開も古事記と日本書紀では異なります。

古事記では、小碓の尊が女装(ヤマトヒメから事前に着物を頂いて)してクマソタケルを
討ったとき、クマソタケルが死ぬ間際に、これからは小碓の尊ではなく「倭建(ヤマト
タケル)」と名乗るがよい!ということから、この日からヤマトタケルと呼ばれるよう
になったのですが、この熊襲を征伐した帰り道、出雲にいた悪い神(イズモタケル)と
出会い、天皇の許しもないまま撃ち殺してしまいますが、その殺害方法は卑怯というか、
策略家というか、親交の証としてお互いの剣を交換するように仕向けたのち、ヤマトタ
ケルは相手の剣を木でできた剣にすり替えて殺してしまいます…。

その後天皇のもとに戻りますが、天皇は元々追放するつもりだったので、戻ってきた
ヤマトタケルを歓迎することもなく、すぐさま東国の征伐を命じます。

一方の日本書紀では、古事記とは全く逆の扱いで、クマソタケルから「日本武尊(ヤマ
トタケル)」と名乗るところまでは一緒ですが、その帰り道イズモタケルと戦った記載
はなく、悪い神々を征伐して天皇のところに戻ると、天皇から大歓迎をうけ、称賛され
ます。

そして、日本書紀では兄の大碓の尊は殺されていませんので、兄の大碓の尊に東国の
征伐を命じますが、怖気づいて行こうとしませんので、またまたヤマトタケルが東国
征伐に向かうことになる…ということになっています。

その後のヤマトタケル

このように、古事記と日本書紀では全くヤマトタケルや、天皇の扱いが違います。

これは言うまでもなく、日本書紀は天皇制の正当性を描くために作られた書物ですから
当然といえば当然のことで、ヤマトタケルの物語は誰が見ても古事記の物語を改ざん
したようにしか見えないのですが、ヤマトタケルの物語といえば、この日本書紀に描か
れている物語が様々な形(絵本や漫画、物語…等々)として広まっています。

このあとの物語の詳細は省きますが、ヤマトタケルは東国征伐に行く前にヤマトヒメ
から、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と火打ち石の入った袋をもらって出かけ
ることになりますが、(日本書紀ではヤマトヒメは登場していません。)これって、
この先に起こる火攻めを予見しているかのようですよね…

勿論その通り、焼津の地で焼き討ちにあい、天叢雲剣で周りの草を薙ぎ払い、火打ち石
で向い火をおこして難を逃れたという有名な話につながっていき、この日以来、天叢
雲剣は「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」とよばれるようになり、天皇の証である
「3種の神器」のひとつになっているのはご存知のとおりです。

この後、ヤマトタケルは更に東北地方まで赴き、それぞれの地を平定して大和に戻る
途中、生駒山中で他界し白鳥になって飛び立った…というのが大筋のあらましですが、
そのため、悲劇のヒーローとして描かれることが多いようです。

さて、事の真偽やヤマトタケルが実在したのか…は別にして、ヤマトタケル関連の神社
は数多く存在します。

ヤマトタケル関連の主な神社

大坂の「大鳥神社」 滋賀県の「建部大社」 福井県の「氣比神社」 山梨県の「酒折宮」

埼玉県の「三峯神社」 神奈川県の「走水神社」 愛知県の「熱田神宮」…等々。

これだけ著名な神社があるのに、熊襲征伐の九州には意外とヤマトタケルを祀った大きな
神社が少ないのは不思議な気がします… 

素戔嗚尊(すさのうのみこと)

スサノウといえば、何と言っても八岐の大蛇退治ですが、この物語には理解不能な面が
多すぎてどう考えたらたら良いのか…迷うばかりです。

勿論、この手の神話はどれも納得できるようなストーリーが存在するわけではありませ
んが、このスサノウの物語は特に分けの分からない話のように思っています。

ヤマトタケルは、12代景行天皇の子供ということになっているので、人間または現人神
(あらひとがみ)ですが、スサノウは天照大神の弟ですから、れっきとした神様です。

その神様のスサノウが天上の世界(高天原)から追放されて、地上(葦原の中津国)に
降り立って出雲まで来ると、老夫婦とその娘に出会い八岐の大蛇退治を依頼され、娘との
結婚を条件に大蛇退治をすることになるのですが、大蛇退治に行く前にその娘(クシナダ姫)
をスサノウの神通力で「櫛」にして自分の髪に挿してでかけます。

すごいですよね、人間を神通力で「櫛」にしてしまうんですから…

ところが…です!

肝心の大蛇退治ではこの神通力は全く使っていません。

それどころか大蛇退治の肝心な部分は、老夫婦に命令するだけで何もしていないのです。

老夫婦が強い酒を作って、八つの大きな樽に詰めるのは大変な作業だったはずです。

スサノウが何をしたかというと、老夫婦が苦労して段取りした酒を、たらふく飲んで酔っ
払った大蛇を十拳剣(トツカノツルギ)で切り刻んだだけです。

最後の尻尾を切ったときに出てきたのが「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」

この天叢雲剣は、一時天照大神に預けられた後にヤマトタケルにわたり、「草薙の剣」
となったのは前述したとおりです。

これがスサノウの八岐の大蛇退治のあらましですが、どこが勇ましいのでしょう…?

この話って、どこかヤマトタケルの熊襲征伐と似てると思いませんか…

ヤマトタケルは天皇に追放された後、熊襲征伐に行き熊襲武が酔っ払ったところを襲って
殺しています。
一方のスサノウも天界から追放された後に、大蛇が酔っ払ったところを殺しているの
です…

実は、神話にはこのような似た話が他にもあって、私達がよく知っている「鶴の恩返し」
のベースになっている”見てはいけない”というのに見てしまう…

といったパターンがイザナギがイザナミを黄泉の国まで追っていく話や、海幸彦と山幸彦
の話にも共通して見られます…。

さてその話はさておいて、スサノウのその後はというと、大蛇を退治した後にクシナダ姫
と結婚して男の神を五人(柱)、女の神を三人(柱)もうけた事になっていますが、この
内のスセリヒメという娘は、何故かスサノウから数えて六代目にあたる大国主の命と結婚
したというのです!?

大国主命という神様は、数多くの恋愛話があることから、今では縁結びの神として人気の
ようですが、スセリヒメが生まれてから6代後の人と結婚するなんてことがあるのでしょ
うか…? 結婚したときスセリヒメは何歳だったのでしょう…!??

どう考えても理解不能ですが、これをバカバカしい「ただの作り話だよ…」

といって片付けてしまうと、これらを祀っている神社ってなんなの…?になってしまい
ませんか…

わたしにはそのことがとても不思議なのです…!

スサノウ関係の主な神社

スサノウを祀った神社は全国に2300社もあるそうですが、その総本社は京都の「八坂神社」
または姫路市の「広峯神社」だそうですが、江戸時代までは「牛頭天王(ごずてんのう)」
として祀られていたようです。

牛頭天王というのは、仏教の薬師如来と日本古来の神様が合体したようなもののようで、
仏教は神道を、神道は仏教を互いに取り入れた「神仏習合」があったようで、その代表と
言えるのが日光東照宮だそうです。 東照宮という神社の中に薬師堂があり、仏教の薬
師如来が祀られているのだそうです。

神仏習合

日本古来の神道と外来の仏教が混在している神仏習合の例をほかにも上げると、例えば
七福神の中の大黒様は言うまでもなく、古事記や日本書紀に出てくる大国主の命のこと
ですし、弁財天も仏教(ヒンズー教)の神様なのに、江の島神社、厳島神社、竹生島神社
などの神社に祀られています。

ところで、仏教は本来「悟り」を得ることが目的のはずですが、死んだら仏になる(成仏)
するといった、本来神道の考えが仏教に影響を与えたことから、お盆や彼岸などの祖霊を
える行事やお葬式なども仏教行事になっているのはそのためだそうです。

この他、神社で見かける狛犬や灯籠なども元々は仏教のものだと聞いたことがあります。

この神仏習合は、明治維新まで続いていたようですが、明治新政府になると「国家神道」
となって、天皇を最上位に据えたピラミッド型の政治体制が確立すると、神道と仏教を
明確に分離するようになります。

国家神道

国家神道というのは、天皇は天照大御神の子孫なので現人神として天皇を崇拝し、
国民に天皇制国家への忠誠を強制するとともに祖先崇拝を強調するというものです。

この尊王思想を高めるため、古事記や日本書紀のいわゆる「記紀」を聖典とする「神道」
を国が認める宗教、すなわち「国家神道】としたものです。

この国家神道のお陰で「天皇陛下万歳」といって亡くなられた方々がいたことを、わたし
たちは絶対に忘れてはいけないことだと思っています。

この国家神道は、太平洋戦争終了(敗戦)時にGHQによって廃止され、天皇は現人神から、
普通の人間天皇として、日本の象徴となったのは説明するまでもありませんが、各神社に
祀られている祭神は今も何も変わっていません。

いつ?どこで?

現在神社に祀られている祭神は、各神社によって様々ですが、先に書いたヤマトタケルや
スサノウ、天照大神、大国主の命…等々の記紀に出てくる神々の他に、3種の神器である
「草薙の剣」「八咫の鏡」なども祀られています。

普段わたしたちが、見聞きする記紀の物語のほとんどが、物語の部分を切り取った形で
しか見る機会がありませんでしたので、その物語がいつ、どこでの話なのか…?
を漠然としか意識していなかったのではないでしょうか…?

例えば、天照大神の天の岩戸隠れ、因幡の白兎、海幸彦山幸彦…等々ですが、これらの
話がいつ頃の話なのかを考えたことがあるでしょうか…?

ちなみに「天の岩戸隠れ」はいつ頃起きた話なのかといえば、初代の天皇である神武天皇
が生まれる前の話で、場所は神様達がいる「高天原」という天空での出来事です。

この話は、ご存知のようにスサノウの度を越した乱暴狼藉に怒ったアマテラスが天の岩戸
に隠れてしまったため、高天原だけでなく葦原の中津国(地上の国)まで真っ暗になって
しまった…という話ですが、ここでアマテラスを天の岩戸から引き出すために使われた
のが八咫の鏡(ヤタノカガミ)です。

この話の詳細は省きますが、この「八咫の鏡」とアマテラスが身につけていたという
「勾玉」、それに前述した八岐の大蛇から出てきた「天叢雲の剣」(後の草薙の剣)の
3種の神宝を、天照大神が初代の神武天皇(ニニギノミコト)に「天皇家の証」として
授けたことが「3種の神器」の始まりとされています。

疑問

ところで、記紀の作者の稗田阿礼(ひえだのあれ)って何者なのでしょう?

この作者は、どこでこの高天原での出来事や、黄泉の国の出来事をを知ったのでしょう…?

作者自身が天空の高天原や黄泉の国に行って目撃したのでしょうか…?

それとも、誰かに聞いただけの話…?  または、作者自身の創作…?

また、天皇家に代々伝わらなければならないはずの3種の神器のひとつ「天叢雲剣」
天皇でもない「ヤマトタケル」に与えたのはなぜなのでしょう…??

ところで天叢雲剣って銅剣? それとも鉄剣? それから八咫の鏡って銅鏡?

それとも現在我々が使っているガラスの鏡なのでしょうか…?

これらに答えられる人はいないはずです! なぜなら、この3種の神器を見た人はだれも
いないはずだから…です!

そしてもっと根源的な疑問、そもそもアマテラスを始めとする神々には人間と同じような
寿命があるのでしょうか…?

それとも、神様だから寿命などなく、今も生き続けていてどこかに存在しているので
しょうか…?

等々の疑問だらけなのですが、そんなことはどうでもいい…ことなのでしょうか…?

神社へ行くのはなぜ????

日本人の多くの人が正月になると、各神社に初詣にでかけたり、必勝祈願や地鎮祭、
七五三やお宮参り…等々で神社を訪れる機会は少なくないと思います。

かくいうわたしも、若いときには混雑する近くの神社に初詣にでかけたこともありますし、
娘の七五三のときには、娘に着物を着せて川越の氷川神社に行ったこともあります。

なぜ神社へ行ったのかといえば、世間一般に行われていることに追随しただけで、何か
特別な思いや考えがあって神社に行ったわけではありません…。

そんなわたしが、なぜ今になって急に神社のことに関心を持つようになったのか…?

というのは、ある時アインシュタインが言ったという「何も考えずに権威を敬うことは、
真実に対する最大の敵である!」という言葉に出会ったからです。

そして、アインシュタインは「科学のない信仰は盲目だ!」とも言っています。

この言葉はわたしにはとても重く響きました。

今、ロシアとウクライナが戦争状態にあるのは誰もご存じの通りです。
そのロシア国民の一人ひとりが真実を知ろうと努力し、考えを深めればこの戦争を止める
一番の抑止力になるはずです。

けれど、それがそうならないのは、何も考えずにたった一人の権力者を敬い、ただひた
すら従っているだけの人たちが大勢を占めているからではないでしょうか…

ロシアだけでなく北朝鮮も然りです。ただの人間を神格化し、将軍様として崇めるさまは
何も考えずにへつらっていた「国家神道」時代を想起させずにいられません。

国家神道であった戦前に、国家神道や戦争に反対したものは不敬罪や非国民として収監
されたことは、記憶に新しいことのはずです。

なのにわたしたちは、大勢に迎合して生活することのほうが楽に生きられる事を知って
いるので、わざわざ大勢から外れて避難されることを避けようとします。

そのためついつい、無批判に世間の慣習だから、みんながやってるから…といった安易な
理由だけで大勢に迎合してしまいがち…ではないでしょうか…

そうしたことのためにも、たまにはほんのちょっと立ち止まって、なんのために神社が
あるのか、神社とはなんなのか…を考えることは、そう無駄なことではないように思った
りしているのです…

まとめ

わたし自身は、神様が人間を造ったのではなく、人間が神様を造った…!と考えています。
だからこそ世界中に様々な神様(宗教)が存在するのだと思っているのです。

どういうことかというと、神様というのは、人それぞれの頭の中・心のなかにこそ存在して
いて、実態があるわけではないと思っています。

なぜなら、わたしは一度も神様を見た事がありませんし、神様を見たという人に出会った
こともないからです。

だから、神の存在を信じる人もそうでない人も、無意識に人それぞれの頭の中にある神に
祈ったり、話しかけたりしているのではないでしょうか…

わたしは友人知人に対し、「俺は無神論者で、合理主義者だよ!」などと豪語することが
ありますが、そう言ってる言葉の端で、わたしより先に逝ってしまった友人に話しかけた
り、見えない神になぜ自分だけが生き残ってしまったのか…などを問いかけたりすること
があります…

こうしたことは、自然の行為で自分以外の人もそんな想いに浸ることがあるのでは…
と想像しています。

しかし神社には、わたしたちの頭の中にある神様とは違う神様がたくさんいる!という
のです。
しかもそこでお参りをするとご利益さえも得られるというのです…!???

ただしその御利益を得るには、神様に失礼のないように鳥居をくぐるときは、一礼をして
参道の中央は神様が通る道なので、なるべく端の方を通るようにして、手水舎で心身を清
めた後「2礼、2拍手、1礼」(神社による)して拝礼した後に、賽銭箱にお賽銭を投げ
入れる必要があるのだそうです。

ということを、知ったかぶりしてとうとうと語る人がいます。

これって、ただの「形」ですよね、形式通りに参拝しないと神様はなにもしてくれない
のでしょうか…?

随分狭量な神様ですよね… 人間の表面だけしか見てないのでしょうか…?

神様ってもっともっと心が広く、なにもかもお見通しで、人の心の奥底まで理解している
のではないのか…と思うのですが…

だとしたら形式なんて関係ないような気がするんですけどね…

それと、神様ってなんでお賽銭というお金が必要なんでしょう…? 
お金が必要なのは神様ではなくて、神様以外の人のような気がするんですけど…

わたしにはこんな疑問しか思いつかない神社という存在ですが、神社を信奉したり神様
の実在を信じている人にとっては、異論反論がたくさんあるのだろうと思うのですが、

わたしはこれまでにも盲目的になにかを信じている人をたくさん見てきました。

例えば「大安」とか「仏滅」などというのは、ただの占いなんですよ…という説明を、
ある識者が説明しているTV番組があって、それを聞いていた若いタレントさんが、
「じゃ仏滅に結婚式を上げてもいいんですか…!」って、真顔で聞いていたのを思い
出します。

このようにそれがなにかも考えず、盲目的に信じていることは少なくないのでは…
と自分も含めて思っています…。

ここまで長々と自分の考えを展開してきましたが、人の考えは様々ですから、わたしの
持論に異論、反論があるのは当然だと考えています。
けれどその異論反論が、どうかただの感情論ではなく、合理性(科学する心)を持った
意見であることを願っています。

その意味でわたしは「合理主義者」でありたいと思っているのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

併せて「聞きかじりの邪馬台国と卑弥呼」も読んでいただけたら嬉しいです。


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