さらば昴よ…って、どういう意味?

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谷村新司さんの代表曲の一つ「昴」の歌詞の意味を
深く考えたことってありますか…?

なんで今さらそんなことを…?
と、思うかもしれませんが…

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満天の星をみたから…

わたしの趣味の一つに海釣りがあります。

もう40年以上も前になりますが、真冬の房総半島に
ワラサを釣りに行ったことがあり、横浜を夜中に出発して、
房総半島についたのは明け方に近い時間でしたが、ふと空を見上げると
今まで見たことのない満点の星が広がっていました。

そのとき初めて「星影」という意味がわかりました。
満月のときと同じように、満点の星の明るさで影ができるんだ…

なんて、一人で納得したものでした。

その後、ある人にその満天の星の素晴らしさを話したところ、
その人に、こう聞かれました…

「あなたが見たその星はなんだかわかりますか…?」

って聞かれてびっくりしました…!!

見た星がなにか…?

なんて、考えもしてなかったし、
漠然と「星」としか認識していなかったのですから、とても驚きました。

しどろもどろのわたしに、
その人は「あなたが見た星というのは恒星(太陽)と銀河だけなんですよ…」
と教えてくれました。

私達が住んでいる地球や火星などの惑星は小さいだけでなく
自分では光っていないので、近くの2つ3つしか見えないんですよ…

ということも教えてくれました。

これは、わたしにとって一大カルチャーショックでした。

それまで漠然としか宇宙とか星をとらえていなかった自分が
あまりにも浅学で、ものを知らなすぎる…!!
と恥ずかしくなりました。

そのことがあってから、その人が貸してくれた雑誌「ニュートン」や
NHKの宇宙番組を積極的に見るようになりました。

その頃はまだブラウン管のテレビだったので、宇宙の様子も今ほどくっきりと
見ることはできませんでしたが、そのうちにデジタルテレビに代わり、
それと同じ頃ハッブル宇宙望遠鏡なども出現し、
宇宙の様子が以前よりも遥かにくっきりと見えるようになってきました。

それで、多少宇宙の知識が増えてくると「スバル」のことも少しづつ
理解するようになりました。

スバルとはもちろん「昴座」のことですが、
「昴」には、〇〇が集まるというような意味あるそうなので、

星座の「昴」にもそういう意味が組み込まれているようです。

昴座は別名プレアデス星団と呼ばれる1,000個あまりの星々の集まりで、
生まれたばかりの若々しい星々だそうです。

若々しい星団なので、とても明るく光り輝いていて、
肉眼でも見ることができ、5~7個ぐらいが見えるそうです。

そのようなことを知ってみると、車のメーカー「スバル自動車」の
社名やロゴマークのもつ意味も理解することができました。

“昴”の歌詞に違和感…?

さて、その谷村新司さんの「昴」ですが

若い方はご存知ないかもしれませんが、

一時盗作問題で話題になったことがありました。

もちろん覚えていらっしゃる方も多数おられると思うのですが
それは、石川啄木の「悲しい玩具」からのパクリではないか…
という疑いです。

けれどこの話もいつか沙汰止みになって、今どきこのことを
話題にする人も少なくなったようです。

それなのに…というのは、
やはりこの歌詞に、わたしは違和感を
消すことができないでいるからです。

具体的にどこがどうなの…?

はじめに

目を閉じて何も見えず…
の歌詞を聞いて、エド山口さんは
「俺はこの歌詞を聞いたとき、俺も絶対作詞家になれるな…!って
思ったね…」なんて言っていましたが、
そのことは別にして

盗作が疑われたのは以下の部分です。

目を閉じて何も見えず 哀しくて眼を開ければ
荒野に向かう道よりほかに見えるものなし…

これに対し、石川啄木の「悲しき玩具」では

眼を閉ずれば 心にうかぶ何もなし
寂しくも、また、眼を開けるかな…
となっています。

その後の歌詞は

呼吸(いき)をすれば 胸の中
凩(こがらし)は吠(な」き続ける…
と続きます。

この部分の石川啄木の「悲しき玩具」では

呼吸(いき)すれば 胸の中(うち)に鳴るものあり
凩(こがらし)よりも さびしきその音…

となっています…。

この詩が、ただ似てるだけなのか、盗作なのかは、
これをご覧になっている皆様が判断なさると思いますが…

わたしが感じている違和感は、この部分だけではなく、
この他にあるのです。

砕け散る運命の星たち…

あ~あ 砕け散る運命の星たちよ
せめて密やかにこの身を照らせよ

ああ~ さんざめく名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ


というこの部分がとても違和感があるのです。

なぜかというと、
砕け散る運命の星たちよ…
というのですが、スバル座の星々は前述したように
生まれたばかりの若々しい星たちです。

その若々しい星たちに向かって、
砕け散って死んでしまう運命の星たちよ…
と語りかけているのです。

これっておかしくないですか…?

確かに、生まれたばかりであろうが、青年であろうが
みんないつかは死ぬ運命です。

けれど、生まれたばかりの子供や、未来が開けている若者に
君たちはいつかは死ぬ運命なのだから…
などという人はいるでしょうか…?

ましてや、星の寿命は人間の寿命とは比較になりません。

数千年、数億年、数10億…も生きる、
まさに天文学的な寿命を持つ星々にです。

ちなみに私達を照らしてくれている太陽は、生まれてからおおよそ4~50億年を
経過していて、死ぬまでにあと4~50億年かかるそうです。

そんな天文学的な寿命を持つ星々に向かって

砕け散る運命の星たちよ…

と、語りかける意味が理解できないのです。

これでは、3日ほどしか生きないセミが、
私達人間に向かって、死んでしまう運命の人たちよ…
と言っているようなものではないでしょうか…。

だから、これが全く逆なら理解できるのです。

星がわれわれ人間を見て、星の寿命に比べれば
瞬き(まばたき)する間もないほどの短い命のwaれわれに向かって、

瞬きする間もなく死んでしまう運命の人たちよ

あなた達は、ほんの短い時間しか生きられないのだから、
そんなに頑張って煌々と私達を照らしてくれなくていいんだよ

短い命なのだから、こっそりと僅かな(密やかな)光でわたしを
そっと照らしてくれさえすればいい…

地球にひしめく(さんざめく)名もなき人たちよ

でも、せめてあなたたちが死ぬ瞬間(とき)ぐらいは、鮮やかな光を放って
終わってほしい…

この部分の詩って、逆の立場で要約すればこんな意味では
なかったのではないでしょうか…

このほうがわたしにはしっくりするのですが
これはわたしのひねくれた解釈で、おかしいでしょうか…

なんで昴にサヨナラするの?

そして最後の歌詞は

我は行く さらば昴よ

で終わるのですが、なぜ昴に別れを告げなければ
ならないのでしょう…?

今の今まで昴を含めた星々に心を寄せていたのではなかったのでしょうか…

それなのに、なぜ急に昴に別離(わかれ)を告げなければならないのでしょう…?

わたしには理解不能です。

このことについて、ウィキペディアにはこう書かれていました。

谷村新司さんは、作品を発表してから20年後に

「物質文明との別れ」を表現したもの…

と語ったと書いてありました。

これで、皆さんは納得でしょうか…!?

わたしには到底理解不能です。

追い打ち

また盗作問題では、詩だけでなく曲も軍歌の「加藤隼戦闘隊」に酷似している
との指摘もありました。

結論

わたしはこの曲を聞くたびに、格調高いワードをならべただけで、
意味不明な内容だけど、軍歌という格調高いメロディーをつけることで
「名曲」という冠をかぶることができたのでは…

などと意地の悪い?みかたをしてしまうのですが、

みなさまはどんな感想をお持ちでしょうか…



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