「北帰行」の歌詞を探る旅に出てみました…!??

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皆さんは、歌の歌詞の意味がわからないまま歌っている曲って、ありませんか…?

昭和生まれの方ならご存知だと思うのですが、小林旭が歌っていた「北帰行」の歌詞がどうしてもわたしには理解できず、ず~っと気になっていたのですが、それでも、なんとなく哀愁を帯びたメロディーに惹かれて、時々口ずさんだりはしていたのですが、この曲が何を言おうとしているのかがさっぱり分からず、どうしてもこの曲の背景が浮かばないんです…。

それで、誰かこの曲の意味を教えてくれないかな…なんて、ずっと思っていたのですが、そんなことを教えてくれる人はどこにもいませんでしたので、何年間も意味のわからないまま、鼻歌で口ずさんだりしていました…。

それが最近何気なく見ていたYouTubeにヒントがあったので、その正体を探ってみました…。

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はじめに口癖の鼻歌から…

ところで、本題の「北帰行」には、まるで関係ないんですけど、前ぶりとして、わたしの口癖の鼻歌の話から紹介しますね…

わたしは車を運転するときに、自分ではあまり意識していないんですが、いつも鼻歌を歌っているのがくせになっているみたいなんです…

それで、その鼻歌を聞いた助手席に座ってる人たちの反応が、それぞれなので、その一部を紹介してみようと思います…。

鼻歌を聞いた”のぶちゃん”は「親方、今日は機嫌いいですね…」というので、「俺に機嫌の悪いときなんかないよ!いつも機嫌いいだろ…」という反応は普通でいいですよね、ところが違う若者は「親方、それはジャズですか…?」って聞くんですよ…、「ジャズじゃないよ!演歌。ド演歌だよ!」ったく…、反応がだんだん悪くなってきて、最悪は愛犬せんべいの家の娘さん。昔は子供でわたしの鼻歌を黙って聞いていたものなんですが、最近はすっかり大人になって、わたしが歌っていると、「おじちゃん、歯が痛いの…」ですって…
ったく、困ったもんです。無料で生で唄を聞かせてあげてるのにね…

ということで、本題に入ります。

小林旭が歌っている「北帰行」

まずは、小林旭の北帰行の歌詞の1番から…

窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 

北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず

夢は虚しく消えて 今日も闇をさすろう

これが一番の歌詞ですが、この歌詞の主人公に何があったのでしょう…?

都を捨てて、一人寂しく北へ帰ろうとしているのですが、なぜ都を捨てなければならなかったのか…?

どんな夢を持っていて、どうしてその夢が消えてしまったのか…

それに、都とはどこのことなのか…、北のどこへ行こうとしているのか…等々わからないことばかりです。

2番はどうでしょう…

夢は虚しく消えて 今日も闇を擦(さす)らう

遠き想い はかなき希望(のぞみ)

恩愛 我を去りぬ

2番になると余計わからなくなります…

夢も希望も失った上、多分恩師でしょうか?その人の恩愛も主人公の胸から去っていってしまうほど、打ちひしがれています。

何がこの主人公をそこまで落ち込ませたのか、何があったのでしょう…?

最後の3番を見てみます。

今は 黙して行かん

なにを 又語るべき

さらば 祖国 愛しき人よ

明日は いずこの町か

明日は いずこの町か

どうでしょう…、3番まできても謎は解けないままです…。

祖国というのですから、日本から離れた地にいるのでしょう…。

それと、愛しき人よ…というのですから、そういう人がいたこともわかります。

なにかがあって、語りたいこと、訴えたいことが沢山あるけれど、今はそれを語るときではない!いつかそれを語る日が来るまでは、ただじっと耐えて黙って去ろう…

わたしはこんなふうに理解したのですが、まだ全体像が浮かんできません。

ただ、おぼろげながら、詩の背景が見えてきたような感じがします…

多分この曲の背景となった場所は中国。時代は日中戦争頃…?かな…

などと目星をつけてみましたが、確証もないし、何があってこうなったのか…、
具体的なストーリーがつかめません。

そこで、この歌はひょっとして、他に原曲があってその原曲の一節だけなのでは…?
と思うようになりました…

同名の曲を、違う歌手が歌っていました…

そのヒントとなる曲をyoutubeで見つけました。

緑咲香澄さんという女性歌手が、同じ「北帰行」を歌っていたのですが、そのタイトルには旧制旅順高等学校の愛唱歌と書かれていて、これこそが「北帰行」の原曲のようです。

通常こうした昔の学校の歌には、校歌とか寮歌とか応援歌…といったサブタイトルが付いているのですが、この曲にはそんなサブタイトルはついていませんでしたが、原曲に間違いないと思いました。

旅順高等学校の「北帰行」

1番は、小林旭の北帰行と全く同じ詩でしたので、2番から紹介します。

建大(けんだい)、一高、旅高(りょこう)

追われ 闇をさすらう

汲めど酔わぬ 恨みの苦杯

嗟嘆(さたん)ほすに由しなし

2番は、小林旭の歌詞には全く触れられていない文言がでてきます。

次に3番も見てみます。

富も名誉も恋も

遠きあこがれの日の

淡きのぞみ はかなき心

恩愛我を去りぬ

だいぶ具体的になってきました…。

建大、一高、旅高を何故追われたのかがわかりませんが、その怒りと恨みなども含めて、ため息をつきながら、いくら酒を飲んでも少しも酔わない…、大きな望みを持って入学した学校に大きな期待や、淡い恋に対する憧れなどがあったのだろうと思いますが、その想いとは裏腹に、意に反して追われたことで、様々な恩愛までが自分の心を離れてしまった…

というような解釈で良いのかな…

ついで4番にゆきます。

我が身 容るるにせまき

国をさらんとすれば

せめて名残の 花の小枝(さえだ)

尽きぬ 未練の色か

となっていて、枠にはまれない自分が小さな国を去ろうと決心をしたのだけれど、様々な思いが未練となって、小枝に咲く花さえも未練の色のように感じられる…
ぐらいで良いのかな…

そして、最後の5番に行ってみます。

今は 黙して行かん

何を また語るべき

さらば祖国 わがふるさとよ

あすは 異郷の旅路

これが締めくくりで、小林旭の北帰行に似てきます。

全てを断ち切って、言いたいことも全部胸にしまって、祖国を捨てて異郷の地へさすらう…

そんな解釈でいいのかな…

北帰行を書いたのは誰?

おぼろげながら全体像が浮かんできましたので、もう少しです。

そこで、この曲を誰が作ったのかを探ってみたら、すぐに分かりました。

宇田博という人で、この方が作詞・作曲をしていることがわかりましたので、その人となりを調べてみました。

宇田博さんは、1922年に東京に産まれ、子供の頃からおおらかな性格で、型にはまらない少年だったそうです。

東京の四中時代から、”規則を守らない”、”校風にふさわしくない”、などの理由で退学処分を受けたのが1939年だったそうですが、それでしかたなく、当時満州で働いていた父親を頼って、満州の首都「新京」(現・長春市)の建国大学予科に入学したそうです。

しかしここでも、強圧的な権威に反抗したため、校則違反で、またも放校になってしまいます。

次いで、父親のすすめで旅順に設立されたばかりの旅順高等学校に入学することになりますが、ここも戦時体制下の大日本帝国によって作られた官立旧制高等学校なので、自由な校風とはほど遠く、280もの校則があって、校則に縛られた生活を余儀なくされていたようでしたが、ある日、入学後に知り合った女性と映画を見て、一緒に酒を飲んで夜遅く帰ったところを、教官に見つかり、またもや退学処分となってしまいます…。

それで、やむなく旅順を去らなければならなくなったのですが、去る前に寮を出て、自分が持っている有り金が尽きるまで旅館に泊まって、鬱屈(うっくつ)した日々を過ごしているときに書き上げたのが「北帰行」なのだそうです…。

これでどういう人がどんな想いで書いた曲なのかがわかりました。

それでもまだ少しわからなかったのが、ここでいう「都」とはどこだったのかですが、遠く離れた東京のことだと書かれていました。

それと、北とは、旅順の北東300キロ先にある父親の住む奉天(現・瀋陽市)だそうです。

これで、全容解明でスッキリしました…!

けれど、こんな遠い中国の旅館で書いた曲が、なんで戦後の日本で歌われるようになったのかが不思議なので、そのへんも探ってみました。

小林旭が「北帰行」を歌うまで…

旅館でこの曲を作った彼は、旅館を出る前に親しい友人を旅館に集めた別れの席で、この「北帰行」を披露したところ、友人たちが歌詞を書き写し、メロディーを覚えたそうです。

そしてこの曲がいつの間にか旅順高等学校の寮歌のようになっていき、その後後輩たちがこの歌をうたい継いでゆきますが、終戦と同時に旅順高等学校そのものがなくなってしまったのですが、それでもこの歌は人づてに伝わっていったそうです…。

そして、終戦後作者不詳のまま若者の間で流行し、歌声喫茶や歌声酒場などで盛んに歌われたそうです。

それを聞きつけた、当時のコロンビアレコードのプロデューサーや小林旭に見出され、レコードが発売されることになった際、作者探しが行われ、旅高時代の友人が宇田さんの直筆のメモを持っていたことから、宇田博さんの作品であるということが認められたのだそうです。

その頃、宇田さんは自分の歌が歌声喫茶で歌われていたのでびっくりしたそうです。

当初、小林旭の「北帰行」は、原曲の趣旨を反映していない…という批判もあったりしたようですが、宇田さん自身は小林旭の「北帰行」を気に入っていたそうです。

ところで、宇田さん自身は終戦後どうしていたかというと、東京大学を出て現在のTBSに入社して、後に同社の常務、監査役を兼任していたそうです。

旅の終わりに…

「北帰行」の歌詞の探求の旅もこれで完結です。
ネット上の旅なので、大した時間も体力も使わずに目的を果たすことができ、胸のつかえが取れてスッキリしました…。

こうして歌詞の内容がわかってみると、この詩の内容もさることながら、作者の枠にはまらない生き方に、大変共感するものを感じました…。

作者の宇田さんと自分とでは月とスッポンほどの差がありそうなので、同列に並べて物を言うのは恐縮至極ですが、わたしも型にはめられるのが嫌で、あっちこっち頭をぶつけながら、なんとかここまで生きてきた人間なので、この宇田さんの青春時代の心情にはとても共感するものがありました…。

ところで、時折ニュースなどで、ブラック校則の話を耳にすることがありますが、今でもまだカタチにはめ込もうとする指導者がいることに驚きです!

型にはめ込むと、全体を同じ方向に向かせることが簡単になるからですよね…

とても残念なことだと感じています…!

宇田さんのような悔しい思いをする生徒が出ないことを願うばかりです。

さて、この曲の内容がわかったことで、これからこの曲を聞いたり歌うときには、今までと違う状況を頭に浮かべることができそうです…。

ここまでの資料は、TAP the POP 及びウィキペディからの引用・抜粋させていただいたものです。

このように歌の内容がわかり、作者の信条まで理解できたのですから、わたしの鼻歌も上達して拍手喝采…!!
という訳にはいかないですよね…

でもせめて、「歯が痛いの…?」ぐらいは脱出したいものですけどね…

最後までお付き合いください、ありがとうございました。

この「北帰行」以外に、谷村新司の「さらば昴よ…って、どういう意味?」も合わせて読んでいただけると嬉しいです。

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