塗り替え工事にまつわるエピソード(パート2)

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前回エピソード集を書きましたが、その後、まだまだ面白いことがあったな~なんて
思い出したことがあり、前回に引き続いてパート2として書いてみました。

思い起こしてみると、様々なことがあったんだと、改めて自分自身感心しています。

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吉野家かラーメン屋か…!?

今はあまり外人の塗装工を見かけることが少なくなりましたが、北京オリンピックが
開かれる以前は、中国人を始めアシア各国の人が塗装工として、わたし達の仕事を
手伝ってくれている時期がありました。

そうした中、わたしも中国人とパキスタン人の2人に仕事を手伝ってもらうことが
ありました。

2人とも片言の日本語でしたが、仕事での言葉の問題はなく、仕事もよく頑張ってくれ
ました。

彼らのような外人で弁当を持参する人はほとんどいません。かれらもその例に漏れず、
弁当を持って来てませんので、近くにあった「吉野家」に連れて行き牛丼を食べることに
しました。

で、食べ終わったら中国人から「中国はあんまり牛肉を食べないので、豚肉の店に連れ
て行ってほしい…」というのです。

それで次の日は、牛丼屋の近くにあるラーメン屋で食べることにしました。
すると今度は、パキスタン人が「わたし達は豚肉は食べられないから、他の店にして
ほしい…」というのです。

いや、いや参りました!

郷に入ったら郷に従ってほしいものだと思うのですが、2人が同時に満足できる店は
ありませんので、次の日からは少し遠いのですが、コンビニ弁当を買って車の中で
食べるようにしました。

しかし、国が違えば食習慣も変わるのは理解できますが、他国に来て自国の食習慣を
主張されても…と思うのですが、疲れますね…

身体が2つあれば…

以前にも書きましたが、わたしがまだ八王子を主体に仕事をしていた頃の話。

その頃、わたしは若い人に辞められたばかりだったので一人で塗装をしていました。

住宅を一人で塗装するのは、そう珍しいことではなく、現在でもそうしている人は少な
くないと思いますが、一人で塗装するだけならそう難しいことはないのですが、足場
(単管パイプ)を一人でかけたり、解体をするのはそう簡単ではありません。

特に足場を一人で組むのも大変ですが、それにも増して足場を一人で解体するのは、
足場を組むときよりもずっと神経を使います。

それは、長いパイプはなんとか地上に下ろすことができても、短いパイプやパイプを
つないでいる部材をどう下ろすか…?という難問があって、野中の一軒家なら上から放り
投げることも考えられますが、普通の住宅でそんなことをしたら、器物を損壊するのが
目に見えているので、不可能です。

ですから、塗装をしながらもその解体をどんな手順で行うかを考えながら塗っている
と、ふいに携帯電話がなったので出てみると、以前何度か仕事をしたことのあるリフォ
ーム店の社長からでした。

その社長の話によると、所沢に塗り替え現場があって足場も架けたのだけど、当てにして
いた塗装屋が急に都合が悪くなってこれなくなってしまったので、わたしになんとかで
きないか…!という相談でした。

そんな相談を持ちかけられても、今の自分の仕事が精一杯なのに、他の仕事などできる
はずもありませんので、現状を説明して他を当たってくれるよう頼みましたが、社長も
なかなか引き下がろうとしません。

わたしがダメなら他の知り合いに当たってくれ…!と必死です。

この暮の12月に遊んでいる職人がいるとも思えませんが、一応当たって
みます…という返事をしてその場を逃れることにました。

家に帰って一応知り合いに電話をかけてみましたが、案の定OKする人がいなかったの
ですが、たった一人だけなんとか行ける、という人がでてきてくれました。

その彼はわたしより年下の職人で、何度か手伝ってもらったことのある仲でしたので、
すぐ彼に明日から行ってくれるよう頼み込み、洗浄機や材料等は現場に届ける約束を
した後、リフォーム店の社長に報告すると、すっかり安堵した様子で「よろしくお願い
しますよ!」と、いつになく低姿勢でご機嫌でした。

これでひとまず安心!彼に洗浄、養生、下地処理までやってもらえば、あとは自分が
加わわれば、十分年内に完了するめどがたちました。

一寸先は闇…!!

次の日はいつもより早起きして、とりあえず洗浄機を所沢の現場におろしてから、八王子
の現場に向かいました。

現場につくとすぐに携帯電話がなり、誰だろうと出てみると、所沢の現場を頼んだ彼
の知り合いからです。

嫌な予感がしましたが、その予感どおりで、急に体調が悪くなって入院したというのです。

いや~参りました!昨日の今日だというのに、まさか!!!…まさか!です。

どうすればいいのか…!

わざわざできない仕事を自分で引き受けたのと同じ結果になってしまったのですから…

普通の月なら、お客様に謝って今の仕事が終わってからと、お願いすることも可能ですが、
こんな押し迫った12月にそんな事ができるわけがないし、今となっては断ることもでき
なくなってしまったし…、進退窮まりました。

2軒とも年内に仕上げることなど、どう考えても不可能です。
でも、なんとかしないと…、なんとかしないと…、何とか…

そんなことを繰り返し繰り返し考えていた末に、ひとつのアイディアが浮かびました…!

それは、2軒の家を一日おきに塗らせてもらう、それも朝7時過ぎ頃からやらせても
らって、お茶は出さないでもらい、雨降り以外は日曜・祝日もやらせてもらうという
方法です。

これならなんとか2軒とも年内に終わらせることができる…!

そう思ったら、行動に移すしかしかありません。

10時休みにこの家のご主人にその旨を伝えたところ、快くその申し出を受け入れて
くれましたので、すぐさまそのアイディアを社長に告げたところ、やむを得ないだろう
ということでしたので、その日の仕事を終えた後、所沢の家に寄って同じ説明をして
お願いをしたところ、こちらもそれでいいですよ…ということで、一応ホット一息です。

ヒヤヒヤものでしたが、毎日必死の思いでこの方法で施工した結果、なんとか2件の家を
年内に仕上げることができました。

火事場の馬鹿力…!なんて言いますが、人間追い詰められると思いがけないような知恵や
パワーが出てくるもんなんですね…

今思うと若さゆえ…だったのかな…なんて思ったりもしています。

ところで、ドタキャンした彼はその後どうしたか…?

その後の彼の話は塗装とはかけ離れてしまうのですが、彼の話を続けて読んでみて
ください。

その後の彼

彼はこの時点では確か30代だったと思いますが、まだ独身で自宅にいるよりも近くの
居酒屋にいるほうが多かったような人でした。

でも彼は几帳面な性格で、わたしが貸した機械などは、わたしが貸したときよりも
きれいにして返してくれるような人で、仕事に対しても真面目に取り組む人でした。

その彼がいつの日だったか、結婚したという話を仲間から聞き、仲間とともに彼の家を
訪れた事があります。

訪ねてみると自宅の前で奥さんと二人、足場にかける飛散防止用のシートを畳んでいる
ところでした。

2人で楽しそうに仕事の後始末していて、いい嫁さんをもらってよかったな…
というのがわたし達の感想で、どこであんないい嫁さん見つけたんだろうね…

なんて下世話な話をしながらも、みんなで喜びあいました。

これで彼もあの居酒屋には行かなくなるから、あの店潰れちゃうかもな…なんて冗談も
飛び出して、笑いながら帰ったものでした。

しかしその後、3年も経った頃でしょうか彼に合う機会があったので、「奥さん元気?」
と尋ねると意外な言葉が帰ってきました。

別れた!というのです。「どうして…?」と聞くと、更に驚く答えが帰ってきました。

「あいつに、パチンコで一千万円近くを使われちゃったよ…!」というのです。

ウッソー!!!、信じられません!
そういえば以前に古い家が道路建設用地にかかり、お金が入ったような話を聞いたことが
あったのを思い出しました…

しかし、あのときあんなに楽しそうに2人でシートを畳んでいた光景を思い出すと、
とてもそんなことは想像ができません…。

彼は更に、あいつは別れ際に「あんた、もっと金持ってると思った…」といって去って
いったというのです。

こんなことって現実にあるのか…!という思いしか頭に浮かばず、なんとも彼に掛け
る言葉がありませんでした…。

そんな彼のその後は想像に難くなく、酒浸りの日々が続いていたようでしたが、ある時
彼自信が請け負った仕事があるので手伝ってほしいというので、仲間を伴って行ったこ
とがありました。

そこで見た彼は、足場に登るどころか地面に座り込んで、そこで動かずにできることしか
できないような状態でした。

彼に聞くと「俺はもうボロボロだよ、医者が言うにはいま酒を辞めないと1年持たない!」
と言われているというのです。

それなのに彼は「いいんだよ、俺はもう手遅れで、今更酒をやめても腎臓も肝臓もダメ
だからどうということないよ!」といって、酒もタバコも全く辞める気がありません。

その現場が終わってから、1年ほど経った頃、医者の予見通り彼が亡くなったという
知らせが届きました…。

彼の葬儀に参加した後、彼のお父さんと話す機会があって、彼の亡くなる前の話を
聞かされて更に大きなショックを受けました。

お父さんはこう切り出しました。「早く死んでほしい!と思ったよ…!」というのです。

えっ!?と驚いて聞き返すと、お父さんが言うには、毒素が脳に回っていたのだと思う
けど、死ぬ直前まで、彼は人間じゃなかった…!まるで狂った獣だったよ…
というのです…。

言葉もありませんでした…

彼はその時、確か50歳になったばかりだったのではなかったかと思います。
そんな彼が亡くなってから、もう20年以上も経ってしまって、仲間内でも彼のことを
話題にする人も少なくなってしまいましたが、今でも彼に似たような生活をしている
若者がわたしの仲間には少なからずいて、そんな彼らに時折この話をすることがありま
すが、どれほど彼らの耳に入っているのか…

若い時って誰もそんな話、耳に入らないんですよね…

わたしだって40代までタバコを辞められなかったのですから、偉そうなことは
言えません…

気遣いの行き届いた社長の話。

都内のリフォーム店から仕事を得ていた頃、ある会社の塗り替えを何度かすることが
ありましたが、その会社の社長は我々のような職人にも、とても細かい気遣いをして
くれる人で、夏の暑い日などは、釣り用のクーラーボックスに冷やした飲み物を数種類
入れておいてくれたりしてくれるような社長でした。

そんな会社の部分塗装を依頼されて塗装をしているときのことです。

この会社は外階段を通って2階の事務所に行く構造になっていて、その外階段の鉄骨部分
を上部から塗っていると、突然女子社員がその階段を駆け登ってきました。

あっと思ったときには、上部を塗ったペンキが彼女の白いブラウスにポトリ…!!!

すぐ彼女の後を追ってわたしも事務所に行って、そのブラウスを脱いでもらってシンナー
でその部分を拭き取りましたが、元々白いブラウスに茶色のペンキですから、到底元通り
にはなるわけがありませんが、それでも、なんとかこのブラウスで帰宅することだけは
できそうな状態になったところで、改めて弁償させてくれるよう彼女にお願いすると、
「9千幾らで買ったばかり…」との返事でした。

そこで、その日たまたま1万円札を持っていたのでこれで勘弁してほしいと申し入れると、
彼女は快く受け入れてくれましたので、これで一応示談が成立です。

一安心し、続きの作業をしようと事務所を出ると、今度は男子社員の一人が「社長が呼
んでますよ…」というので、駐車場の方を見てみると社長がわたしを手招きしています。

呼ばれたまま社長のもとへ行くと、社長は傍らのポールを指さして「これを追加で塗っ
てくれ」というのですが、どう見ても塗り替えが必要とは思えませんでしたので「これ
はまだいいんじゃないですか、もったいないですよ。」というと

「いいから1万円で塗れ!」というのです。

それで解りました!社長はさっきの経緯を見ていたのか、社員から聞いたのかわかりま
せんが知っていたのです…!

「領収書はいらないから…」と言って、わたしに1万円札を手渡すとさっさと事務所に
向かって行ってしまいました。

社長の後ろ姿に頭を下げて、言われたポールを塗りましたが、なんだか胸が熱くなって…
今でも思い出すと胸が熱くなります…。

聞いたところによると、この社長は四国の田舎から一人上京して、一代でこの会社を
築き上げたのだそうです…

いくら苦労人でも、みんながみんなこんなに気遣いの行き届く人ばかりじゃないですよ
ね…

かなり年上の社長でしたから、今いくつになられたのか…

なにかの際に、ふっとあのときのことを思い出しています…

パート2以前に書いた「塗替え工事にまつわるエピソード集」も呼んでいただけたら
嬉しいです。


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