わたしの親方とノブちゃんのお話…

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わたしがペンキの仕事に携わるようになったきっかけも、その後の塗装屋としての道を
歩めたのも、全てこの親方のおかげ…!

一方のノブちゃんは、わたしが都内のリフォーム店から仕事を得られるようになった頃に
出会った、ユニークで他に比べようのない貴重なキャラクターの持ち主…。

そんな二人のエピソードを紹介してみたいと思います。

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親方の人となり。

わたしの親方といっても、年齢的にはわたしと10歳ほどしか離れていないのですが、わ
たしに塗装の”と”の字から教えてくれた、大切な先生です。

親方は、秋田県から中学卒業後すぐに上京すると、職人のところに弟子入りしたそう
ですが、いろいろ事情があったようで、その後塗装業に転身すると同時に職業訓練所に
通い、本格的に塗装を学んだと言っていました。

そのお陰で、親方は一級塗装士の資格を持っています。

親方が塗装を始めた頃は、今とは逆で人口が増え続けていた時代でしたので、それに伴っ
て学校も増え続けていたこともあって、そうした学校関係の仕事がたくさんあったようです。

といっても、親方が直接仕事を請けていたわけではなく、親会社の下請けですが、この
親会社は現在も盛業中で、わたしも何度か応援に行ってますが、現在で創業100年になる
といってました…。

そうした学校などの仕事をこなすには多数の職人が必要なので、親方の故郷の職人を呼び
寄せ、飯場をはって奥さんに炊事をしてもらった…と言っていましたが、この時の話にい
かにも親方らしい性格が現れています。

それは、田舎から呼び寄せた職人たちが給料を間違いなく田舎に送金するかを確認する
ため、銀行まで一緒について行って確認した…!というのです。

もらった給料を無駄遣いしておいて、親方の手間賃が安いとか、払いが悪い…とかの言
い訳に使われたくないし、それをを故郷の人たちに言いふらされたくね~からな…と、
わたしに語っていました。

一事が万事このように物事をはっきり、きちんとさせないとだめな性格の人で、その意
味ではとても頑固な人といえます。

というと、なんだか堅物一辺倒の頑固おやじを思い起こすかもしれませんが、普段はその
逆で親方はいつも冗談を言ってはよく人を笑わせていました…。

また、忘れていけないのは、親方の左手の指は拳を握ったまま固まった状態の手でした
ので、指が使えません。そのためペンキを入れる下げ缶も指で持つことができませんので、
手首に下げて塗っていましたが、それでも人よりかなり早かったです…。

そして、その手が不自由だとか、そのためになにかができないとか…を言い訳にするこ
とは一度もありませんでした…。

ただ、そういうことなので、車の運転はハンドルに補助器具を着けなければならない限定
免許でしたので、親方の家には親方が乗れる1トン未満の車と、2t車のトラックがありま
したが、トラックは当然親方は運転できませんので、わたし専用のトラックのようでした。

なんだかこうして書いていると、すでに故人のように思われてしまいそうですが、仕事
こそ引退しましたが、今も元気に過ごされています。

元気に過ごされていますが、このような性格の持ち主ですから、多分70歳になるかなら
ない頃だったと思うのですが、さっさと運転免許証を返上して、事実上引退してしまって
今日に至っています…。

野丁場から町場の仕事にシフト…

さて、こんな性格の親方でしたが、わたしが親方に出会った頃は、学校や病院などのい
わゆる”野丁場”仕事が少なくなり始めていた頃で、親方も町場の住宅の塗り替えにシフト
したいと考えていた頃でした…。

親方は、日本ペイントとの特約店契約を交わしていましたので、日本ペイントで作ったチ
ラシに自分の屋号を入れるだけで使えるチラシがありましたので、それを印刷して、営業
を…と考えたようですが、職人が営業などできるはずもなく困っているときに、一人のフ
リーの営業マンが仕事をもって来たのがきっかけで、次々にそうしたフルコミッションで
働きたいという人たちが集まりだし、屋号を入れたチラシも無駄になるどころか大いに役
立つこととなりました…。

そんなわけで、それ以来親方と二人で住宅の仕事に追われることになりました…。

親方の金言、迷言!!

そんな住宅塗装をしているある時、親方は藪から棒に「なんのために塗装をするのか、
わかるか…?」とわたしに問いかけるのです…。

急にそんなことを聞かれても、うまく答えられずにいると…

「塗装は、躯体の保護と美観のため」に必要なものなんだよ!!

と教えてくれました。

どうということもない言葉のように聞こえますが、わたしにはハッとする言葉で、それ
までなんとなく塗っていたペンキが、はっきりとした目的を持って塗ることを教えられ
大切な「言葉」です。

さて、こんな硬いことばかり言ってる親方ではありませんで、ガソリンスタンドへ行った
ときなどでは、スタンドの従業員が「カードですか、現金ですか…?」と聞くと、親方は
すかさず「唄じゃダメかね…」なんて言う人でした…

この他にも、あるとき親方の知り合いが「うまいうどん店があるから、連れて行くよ…!」
という誘いに対して「なに?うどんに金払うの…!?」「うどんなんか、俺は自分の好
きな味で食ってるのに、わざわざ他人の味に金払うのかよ…!?」といった具合です。

更に「グルメっていう人は気の毒だよな…、俺がうまいっていうのをまずいって言うん
だからよ…」

なんてこんな具合ですが、ホントは親方は結構グルメで、すっぽん料理の高級な店に連
れて行ってくれたり、秋田に帰った土産にわざわざ「稲庭うどん」(わたしも大好きな
うどんです)を買ってきてくれたりするのですから舌の方もまんざらじゃない人です…

そんな親方の得意な言葉が「バカやろ!!」「ケツが痛え~とか、ヘソが痒いとか言って
休んでんじゃね~よ!!」「そんなことしてたら、おまんまの食い上げだぞっ…!」なんて
若い人にハッパをかけたりしていました…

聞いていて、わたしはうまいこと言うな~なんて感心ししてましたけどね…

それで仲間内では結構この言葉が流行って、真似する人がたくさんいました…

あと、親方は運転の方はイマイチで、その頃はナビなどなかったので、現場へ行く道を
口頭で伝えようとすると「ダメッ!」「俺は、3回も曲がったらもうわかんね~んだから」
「運転してくれよ…!」
で、いつも運転させられるはめにななっていました…

運転はイマイチでも、こういうのはうまいんですよ…!

あんまり大きな声では言えないこと…

あまり大ッピラに言えることではないのですが、時効ということで勘弁していただいて…

実はその頃、仕事終わりに親方の家によくよばれてご馳走になって帰ることがありました。

その際、親方自慢のじゃっぱ汁(寄せ鍋風)とともに必ずビールが一本ついていて、仕事
帰りのビールですから、格別の味ですが、それにもまして美味しかったのがじゃっぱ汁。

奥さんは地元の埼玉生まれなので、魚介料理はあまり得意ではなかったようで、親方は
俺が全部教えたんだよと自慢していました。自慢するだけあって、味付けは塩だけだと
いうのですが、とても美味しい格別の味でした…

ご馳走になるのはいいのですが、ビール一本とはいえ我が家まで2~30分かけて車を運転
して帰っていたのですから、今考えるととんでもないことをしていたんですよね…

親方と飲むのはなにも親方の家だけではなく、親方の推奨する焼き鳥屋(辛味噌をつけて
食べる焼きとん)に行ったり、親方の家の近くの馴染みの居酒屋などに行くことがありま
したが、ある日、この居酒屋でカラオケなどを楽しんでいるときに、いつもは親方の携帯
電話がなることなどほとんどないのに、突然鳴り出して親方は店の外に出て電話をうけて
いましたが…

数分も経たないうちに、親方が血相変えて店に入って来ると

いきなり「うちが火事だ!!」というのです。

びっくりです!

店のママも親方の声で事態を理解して、「早く行って!」と我々をセカしてくれたので、
店を出るとすぐに親方をわたしの車に乗せて親方の家に向いました…

親方の家の近くまで来ると、家の前の道路には赤色灯をつけた消防車やパトカーがずらり
と並んでいます。

ここまで来て自分が赤い顔して運転してきたのに気づきましたが、もうそんなことを言
ってる場合ではないので、パトカーの真後ろに車を止めて親方を下ろすと、警察官の方
も忙しかったのでしょう、わたしに注意を払うこともなく、早くその場を立ち去るよう
促されるままその場を離れることができたのですが、ヒヤヒヤものでした…

(勿論、今では外で飲むなどということは、金輪際ないことは言うまでもありません!)

翌日親方の話だと、奥さんが鍋をかけっぱなしで台所を離れてしまったためのボヤで済
んで、大した放水もされなかったので、被害は最小限で済んだ…ということでしたので
ある意味ひと安心でした…。

ノブちゃんとの出会い

ある日、わたしの知り合いが「パチンコ店に10年努めていて、今遊んでる若いのがいる
んだけど使えないかな…」という相談を持ちかけられました。

その頃わたしはある方の紹介で都内のリフォーム店から仕事をもらっていて、親方は以
前とは逆にわたしの仕事を手伝ってくれていた頃でしたので、もう一人手元がいてもい
いかな…なんて考えていましたので、とりあえず会ってみることにしました。

早速指定した場所に時間通りノブちゃんがやってきましたが、その格好にびっくりです。

誰が見ても安物と思える装飾品を体中につけ、髪の毛も黄色に染めた、まさにチャラ
男の代表みたいな若者で、その時確か28~9歳だったと思います。

でも、話をしてみるととても素直で正直そうな感じをうけましたので、本当にやる気が
あるのかを念押ししてみると、「やります!」という元気な返事が帰ってきましたので
そのまま作業着屋に直行。作業着のサイズを合わそうと上半身裸になると、ま~なんと
立派な般若の絵が背中いっぱいに描かれていました…。

ま、この職業の仲間には珍しいことではなのいで、そのことにはあまり触れずに、ただ
お客様の前では絶対に着替えはしないように注意すると、「解りました!」と素直です。

作業着も揃ったので、早速次の日の待ち合わせ場所と時間を告げてその日は別れました。

次の日、路上での待ち合わせなので待ち合わせ時間より早めに着こうと思い、親方と早
めに出発すると、途中ノブちゃんから電話、どうしたのか聞いてみると待ち合わせ場所
にもう30分以上も前から待ってますという返事です。

わたしたちが待ち合わせ場所につくには、まだ有に30分はかかるというのに彼は路上に
1時間以上も待ち続けていました。

彼に会ってそんなに早く待ってなくていいのに、というと「イヤッ大丈夫です!」とい
って元気一杯!

車に乗り込んだところで、親方にノブちゃんを紹介すると、彼は当たり前ですが、親方
を親方と呼ぶと、親方は「俺は親方じゃなくて馬方だよ、おめ~の親方は隣の人だろう
…!」といって、わたしを親方と呼ぶように仕向けます。

そのお蔭で、その日依頼ノブちゃんはわたしを親方と呼び、親方を苗字で呼ぶようにな
りました。

それからというもの、ノブちゃんは必ず毎日1時間以上も前から待ち合わせ場所で待って
いる日が続きました。

現場につくとノブちゃんは元気な声でお客様に挨拶をします。

ノブちゃんの一番の良さは、この挨拶です!。この挨拶の良さだけではなく、明るいキャ
ラクターのせいでしょうお客様のうけがとても良く、わたしの息子さんですか…などとよ
く問われることがありました…。

ノブちゃんのウイークポイント!

こんなノブちゃんですが、ある日わたしに「親方たまにはカラオケいきましょうよ!」
と言うのです。
「男二人でカラオケやったって面白くないだろ!」と言っても、何だかバカに唄いたそう
なので、仕方なく近くのカラオケボックスに行くことにしました。

カラオケ店の部屋に入ると早速曲名の入った本を開こうと思いましたが、あいにくわたしは
その日老眼鏡を忘れてしまっていたのと部屋の照明がなんとなく薄暗いので、曲名を読むこ
とができないので、ノブちゃんに「ノブちゃんはこの字見える?」と聞くと、「全然大丈夫!
見えます!」というので、「じゃノブちゃん曲を入れてくれよ」というと早速ノブちゃんは
ページをめくりましたが

「あ、俺 漢字読めね~んだ!だって…

で、それからどうしたのかって…? 1曲も歌わずすぐに店を出ました。

というだけなんですけど、何だか今どき信じられない話ですよね…

そんな事があってから、現場によってはノブちゃんといつも同じ場所で待ち合わせという
わけにもいかないので、50ccのバイクの免許を取ってもらって、それで現場に来てもらお
うと考え、問題集を買って来ました。

それを現場の往復時に何度も何度も繰り返し問題集を読み聞かせしていたある日、現場の
休み時間に問題集の問答をしているのを、そこのご主人が聞いていて、「それなら丁度良
かった、うちはもう誰も乗らないバイクがあるからこれを持っててくれ」というのです。

見ればまだきれいなカブで、税金等全て手続き済みだからすぐに乗れるよ!と言ってくれ
て、ありがたい話なので、お客様にお礼を言ってありがたく頂戴することにしました。

さて、肝心の免許の試験ですが、なんせ漢字が読めないのですから心配です…。
けれど試験のときは漢字にルビを振ってくれるそうですし、1ヶ月以上も勉強したのですから 
ま、なんとかなるだろうと思い試験場に向かわせました。

翌日元気に現れたノブちゃんでしたが「落ちました!」との返事。ま、1回目だから仕方
ないか…と思い、次に期待しましたが、2回目もダメ、3回目もダメ!…で、ついに諦め
ました…。

その後のノブちゃん

実は後になってわかったのですが、結果的には免許証が取れなくてよかったのです…。

というのは、彼はてんかんの持病があることがわかったのと、うつ病を患っていること
もわかリ、その上に脊柱菅狭窄症も抱えているというのです…。

そんなこともあって、表面上はいつも元気なノブちゃんでしたが、精神面でもかなり弱い
面があって、実は、わたしは一度だけ彼を怒鳴ったことがありましたが、その数時間後に
彼のお姉ちゃんから電話があり、ノブが過呼吸になって救急車で運ばれた…と言うのです…

それ以来のぶちゃんを現場に呼ぶことは極端に少なくなり、稀に呼ぶときは足場の下で
できる軽作業だけをさせるようにしましたが、それでは収入がままならないものですか
ら、生活保護をうけられるようにしました…。

生活保護を受けるようになったので、今はわたしの仕事を仕事として手伝ってもらうこと
はできなくなってしまいましたが、その代わりにたまにうちのチラシまきを手伝ってもら
ったりしていますが、彼の生まれ育った環境を知ってくるにつれ、よくぞそんな劣悪な環
境にあってこんなに素直な性格でいられたものだと感心するばかりで、”親はなくとも子は
育つ…”の言葉の意味を噛み締めたりしています…。

乗り手のなくなったバイク

資材置き場に長らく置いておいた”頂いたカブ”ですが、誰も乗り手がいないので、いつも
ペンキの空き缶を持って行ってくれてる廃品回収業の人に、そのカブを持って行ってもら
うことにしました。

その廃品回収業の人は、そのバイクによって少しは利益がでたのでしょう…、そのことを
とても恩に感じて、それ以来どんな小さなことでも電話一本で飛んできてくれるようにな
りました…。

何だか変なところで、ノブちゃんのバイクが役に立った…というか…なんと言うか…

そのノブちゃんもいつの間にか40歳を過ぎましたが、今でも機嫌の良いときはわたしが
早起きなのを知っているものですから、朝の5時前に電話をかけてくることがあります。

で、どんな用事があるかといえば”今散歩していま~す!”なんていう報告だけなんですけ
どね…

それでもこれが彼の元気な証拠なのですから、これはこれで朝の挨拶でいいのかな…
と思って”頑張れよ!”なんて、訳の分からない返事をしてお付き合いをしている日々を
送っています…。

ホントはもっともっと書きたいこともあるのですが、ダラダラと長くなりすぎるので、
このあたりにしようと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。




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